戦国策 劉向 現代語訳 魏王

発行者: 12.03.2020

白文   現代語訳   ノート. 最終更新 年4月16日 木 (日時は 個人設定 で未設定ならば UTC )。 テキストは クリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンス の下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は 利用規約 を参照してください。 プライバシー・ポリシー ウィキペディアについて 免責事項 開発者 統計 Cookieに関する声明 モバイルビュー.

趙の張孟談はこっそりと韓・魏の二人の王に密会して言った。 「唇がなくなると、そのときは歯が寒くなると聞くではないか。今、智伯が韓・魏を率いてわれわれ趙を攻撃し、趙は今にも滅びそうだ。趙が滅びてしまったら、そのときは韓と魏が次なる標的となるであろう。」と。 二人の王は言った。 「そうであることは知っている。あの智伯の性格は粗暴で、親しみやすいところもあまりない。(我々が智氏を裏切って趙と同盟を組むという)計画が上手くいかずにばれてしまったら、きっと禍が起こるだろう。どうしたらよいものだろうか。」と。 張孟談は言った。 「陰謀はお二人の口から漏れて、私の耳に入った。この計画を知る人はまだいない。」と。 二人の王はすぐに張孟談と密かに三軍で智伯を攻撃することを約束し、日時を決めて夜晋陽に入らせた。そこで張孟談は(君主である)襄子に知らせた。襄子は張孟談に丁寧にお辞儀をした。. 出典 は列挙するだけでなく、 脚注 などを用いて どの記述の情報源であるかを明記 してください。 記事の 信頼性向上 にご協力をお願いいたします。 ( 年1月 ).

張孟談是に於いて 陰 ( ひそ ) かに韓・魏の君に 見 ( まみ ) えて曰はく、 「臣聞く、唇亡びば則ち歯寒しと。今智伯二国の君を 帥 ( ひき ) ゐて趙を伐ち、趙 将 ( まさ ) に亡びんとす。亡びば則ち二君之が次と為らん。」と。 二君曰はく、 「我其の然るを知る。 夫 ( か ) の智伯の人と為り、 麤中 ( そちゅう ) にして親しみ少なし。我が謀未だ遂げずして知らば、則ち其の禍必ず至らん。之を為すこと 奈何 ( いかん ) 。」と。 張孟談曰はく、 「謀二君の口より出でて、臣の耳に入る。人之を知る 莫 ( な ) きなり。」と。 二君即ち張孟談と陰かに三軍を約し、之と日を期し、夜晋陽に入らしむ。張孟談以て襄子に報ず。襄子之を再拝す。.

孔子 老子 荘子 墨子 孟子 荀子 韓非子 孫子 列子 楊朱. 白文   現代語訳   ノート. 馬陵の戦い 紀元前年 閼与の戦い 紀元前年 長平の戦い 紀元前年 函谷関の戦い 紀元前年. 智過出見二主。入説智伯曰、 「二主色動而意変。必背君。不如令殺之。」 智伯曰、 「兵著晋陽三年矣。旦暮当技而饗其利。乃有他心不可。子慎勿復言。」 智過曰、 「不殺、則遂親之。」 智伯曰、 「親之奈何。」 智過曰、 「魏宣子之謀臣曰趙葭、韓康子之謀臣曰段規。是皆能移其君之計。君其与二君約。破趙、則封二子者各万家県一。如是、則二主之心可不変、而君得其所欲矣。」 智伯曰、 「破趙而三分其地、又封二子者各万家之県一、則吾所得者少。不可。」 智過見君不明、言之不聴也、出更其姓為輔氏、遂去不見。.

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智過は出て行き、今度は二人の王と会見した。戻ってきて智伯に説得して言った。 「二人の王は顔色を変え、気持ちが変わっている。きっと裏切るでしょう。二人の王を殺させた方がよい。」と。 智伯は言った。 「軍隊が晋陽について三年になる。あとわずかできっと趙を伐って利益を得られるのだ。だから心変わりはあり得ない。お前は言葉を慎んで二度とそんなことを言うな。」と。 智過は言った。 「殺さないならば、もっと仲良くしてください。」と。 智伯は言った。 「どうすればいいんだ。」と。 智過は言った。 「魏の宣子の謀臣は趙葭といい、韓の康氏の謀臣は段規といいます。彼らは自分の君主の計画を変えることが出来る人物です。我が君よ、二人の王と約束をしてください。趙を破ったならば、趙葭と段規の二人にそれぞれ戸数一万の県を与えようと。こうすれば、韓と魏の心変わりを防ぐことができ、王が欲しい土地を得ることが出来ましょう。」と。 智伯は言った。 「趙を破ってその土地を三分割したうえに、さらに二人の謀臣に戸数一万の県を与えたら、私の取り分が少なくなってしまうではないか。だめだ。」と。  智過は自分の君主が馬鹿で、言うことを聞いてくれないのをみて、出て行って姓を変えて輔氏となって、そのまま戻らなかった。. 孔子 老子 荘子 墨子 孟子 荀子 韓非子 孫子 列子 楊朱. 張孟談於是陰見韓魏之君曰、 「臣聞、唇亡歯寒。今智伯帥二国之君伐趙、趙将亡矣。亡則二君為之次矣。」 二君曰、 「我知其然。夫智伯之為人、麤中而少親。我謀未遂而知、則其禍必至。為之奈何。」 張孟談曰、 「謀出二君之口、入臣之耳。人莫之知也。」 二君即与張孟談陰約三軍、与之期日、夜遣入晋陽。張孟談報襄子。襄子再拝之。.
  • 張孟談是に於いて 陰 ( ひそ ) かに韓・魏の君に 見 ( まみ ) えて曰はく、 「臣聞く、唇亡びば則ち歯寒しと。今智伯二国の君を 帥 ( ひき ) ゐて趙を伐ち、趙 将 ( まさ ) に亡びんとす。亡びば則ち二君之が次と為らん。」と。 二君曰はく、 「我其の然るを知る。 夫 ( か ) の智伯の人と為り、 麤中 ( そちゅう ) にして親しみ少なし。我が謀未だ遂げずして知らば、則ち其の禍必ず至らん。之を為すこと 奈何 ( いかん ) 。」と。 張孟談曰はく、 「謀二君の口より出でて、臣の耳に入る。人之を知る 莫 ( な ) きなり。」と。 二君即ち張孟談と陰かに三軍を約し、之と日を期し、夜晋陽に入らしむ。張孟談以て襄子に報ず。襄子之を再拝す。.
  • 張孟談はこの話を聞き、襄子に謁見してこう言った。 「私は智過に軍門の外で会いました。智過の目を見ると、私を疑う心があります。智過は(軍門の中に)入っていき智伯にお会いしたあと、出て行って姓を変えました。今すぐ智を攻撃しなければ、きっと手遅れになってしまうでしょう。」と。 襄子は言った。 「わかった。」と。 張孟談に韓・魏の王に会わせて言わせた。 「夜に決行しよう。」と。  堤を守る兵を殺し、水を決壊させて智伯の軍に注いだ。智伯の軍は水を防ぐのに気を取られて混乱に陥った。韓と魏はこれを挟み撃ちにし、襄子の将軍は前から突入し、智伯の軍に大勝し、智伯を捕らえた。.

智と趙の運命を分けたもの

張孟談はそこで智伯のところへお目にかかって出て行き、智過に軍門の外で会った。智過は中に入って智伯に言った。 「二人の王は殆ど今にも心変わりを起こそうとしていますぞ。」と。 智伯は、 「どういうことだ。」と言った。 智過は応えて言った。 「私は張孟談と軍門の外で会いました。意気揚々としていて、胸を張って歩いておりました。」 智伯は言った。 「そんなことはない。私は二人の王と固く約束したのだ。趙を倒して、其の土地を三分割しようとしている。私はこの二人の王と約束をしている。絶対に裏切らない。お前はそんな考えを捨てなさい。口に出してはならない。」と。.

春秋戦国時代末期(紀元前5世紀ごろ)の国の一つ、 晋 は、事実上 范氏・智氏・中行氏・趙氏・韓氏・魏氏の六氏に分かれていた。范氏、中行氏を除く四氏のうち智氏が最も強大あった。. 案内メニュー 個人用ツール ログインしていません トーク 投稿記録 アカウント作成 ログイン. 張孟談因りて智伯に朝して出で、智過に轅門の外に遇ふ。智過入りて智伯に見えて曰はく、 「二主殆ど将に変有らんとす。」と。 君曰はく、 「如何。」と。 対へて曰はく、 「臣張孟談に轅門の外に遇ふ。其の志 矜 ( ほこ ) り、其の行くこと高し。」と。 智伯曰はく、 「然らず。吾と二主と約すること謹なり。趙を破りて其の地を三分せんとす。寡人之と親しくする所なり。必ず欺かざるなり。子之を釈け。口より出だすこと勿かれ。」と。.

もともと『国策』『国事』『事語』『短長』『長書』『脩書』といった書物( 竹簡 )があったが、これを 前漢 の 劉向 ( 紀元前77年 ~ 紀元前6年 )が33篇の一つの書にまとめ、『戦国策』と名付けた [1] 。 後漢 の 建安 年間に高誘(こうゆう)がはじめて注釈をつけたが、8篇分しか現存しない [2] 。 隋 ~ 宋 代に異本が多く出て篇数に混乱をきたしたため、 唐宋八大家 のひとり 北宋 の 曾鞏 (そうきょう)が再校訂を行い33篇を復元したが、これが現行テキストの祖本である [3] 。曾鞏の系統以外には、宋代の鮑彪(ほうひゅう)が国の分類と年代順序を厳密にし、本文にも大胆な校訂を施した10巻本(括蒼本、鮑彪本)がある [4] 。日本に流布してきた伝本は概ねこれを祖本とするものであった。.

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ベストアンサーに選ばれた回答

智過出見二主。入説智伯曰、 「二主色動而意変。必背君。不如令殺之。」 智伯曰、 「兵著晋陽三年矣。旦暮当技而饗其利。乃有他心不可。子慎勿復言。」 智過曰、 「不殺、則遂親之。」 智伯曰、 「親之奈何。」 智過曰、 「魏宣子之謀臣曰趙葭、韓康子之謀臣曰段規。是皆能移其君之計。君其与二君約。破趙、則封二子者各万家県一。如是、則二主之心可不変、而君得其所欲矣。」 智伯曰、 「破趙而三分其地、又封二子者各万家之県一、則吾所得者少。不可。」 智過見君不明、言之不聴也、出更其姓為輔氏、遂去不見。. もともと『国策』『国事』『事語』『短長』『長書』『脩書』といった書物( 竹簡 )があったが、これを 前漢 の 劉向 ( 紀元前77年 ~ 紀元前6年 )が33篇の一つの書にまとめ、『戦国策』と名付けた [1] 。 後漢 の 建安 年間に高誘(こうゆう)がはじめて注釈をつけたが、8篇分しか現存しない [2] 。 隋 ~ 宋 代に異本が多く出て篇数に混乱をきたしたため、 唐宋八大家 のひとり 北宋 の 曾鞏 (そうきょう)が再校訂を行い33篇を復元したが、これが現行テキストの祖本である [3] 。曾鞏の系統以外には、宋代の鮑彪(ほうひゅう)が国の分類と年代順序を厳密にし、本文にも大胆な校訂を施した10巻本(括蒼本、鮑彪本)がある [4] 。日本に流布してきた伝本は概ねこれを祖本とするものであった。.

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張孟談聞之、入見襄子曰、 「臣遇智過於轅門之外。其視有疑臣之心。入見智伯、出更其姓。今暮不撃、必後之矣。」 襄子曰、 「諾。」 使張孟談見韓魏之君曰、 「夜期。」 殺守堤之吏、而決水灌智伯軍。智伯軍救水而乱。韓魏翼而撃之、襄子将卒犯其前、大敗智伯軍、而禽智伯。. 智過出見二主。入説智伯曰、 「二主色動而意変。必背君。不如令殺之。」 智伯曰、 「兵著晋陽三年矣。旦暮当技而饗其利。乃有他心不可。子慎勿復言。」 智過曰、 「不殺、則遂親之。」 智伯曰、 「親之奈何。」 智過曰、 「魏宣子之謀臣曰趙葭、韓康子之謀臣曰段規。是皆能移其君之計。君其与二君約。破趙、則封二子者各万家県一。如是、則二主之心可不変、而君得其所欲矣。」 智伯曰、 「破趙而三分其地、又封二子者各万家之県一、則吾所得者少。不可。」 智過見君不明、言之不聴也、出更其姓為輔氏、遂去不見。.

最終更新 年4月16日 木 (日時は 個人設定 で未設定ならば UTC )。 テキストは クリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンス の下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は 利用規約 を参照してください。 プライバシー・ポリシー ウィキペディアについて 免責事項 開発者 統計 Cookieに関する声明 モバイルビュー.

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「虎の威を借る狐」の由来

張孟談はそこで智伯のところへお目にかかって出て行き、智過に軍門の外で会った。智過は中に入って智伯に言った。 「二人の王は殆ど今にも心変わりを起こそうとしていますぞ。」と。 智伯は、 「どういうことだ。」と言った。 智過は応えて言った。 「私は張孟談と軍門の外で会いました。意気揚々としていて、胸を張って歩いておりました。」 智伯は言った。 「そんなことはない。私は二人の王と固く約束したのだ。趙を倒して、其の土地を三分割しようとしている。私はこの二人の王と約束をしている。絶対に裏切らない。お前はそんな考えを捨てなさい。口に出してはならない。」と。.

張孟談之を聞き、入りて襄子に見えて曰はく、 「臣智過に轅門の外に遇ふ。其の視るや臣を疑ふの心有り。入りて智伯に見え、出でて其の姓を更ふ。今暮撃たずんば、必ず之に後れん。」と。 襄子曰はく、 「諾。」と。 張孟談をして韓・魏の君に見えしめて曰はく、 「夜期せん。」と。  堤を守るの吏を殺して水を決して智伯の軍に灌ぐ。智伯の軍水を救ひて乱る。韓・魏 翼 ( さしはさ ) んで之を撃ち、襄子の将卒其の前を犯し、大いに智伯の軍を敗りて、智伯を 禽 ( とりこ ) にす。.

カテゴリ : 縦横家 紀元前1千年紀の書籍 諸子百家の著作 中国の歴史書. 張孟談是に於いて 陰 ( ひそ ) かに韓・魏の君に 見 ( まみ ) えて曰はく、 「臣聞く、唇亡びば則ち歯寒しと。今智伯二国の君を 帥 ( ひき ) ゐて趙を伐ち、趙 将 ( まさ ) に亡びんとす。亡びば則ち二君之が次と為らん。」と。 二君曰はく、 「我其の然るを知る。 夫 ( か ) の智伯の人と為り、 麤中 ( そちゅう ) にして親しみ少なし。我が謀未だ遂げずして知らば、則ち其の禍必ず至らん。之を為すこと 奈何 ( いかん ) 。」と。 張孟談曰はく、 「謀二君の口より出でて、臣の耳に入る。人之を知る 莫 ( な ) きなり。」と。 二君即ち張孟談と陰かに三軍を約し、之と日を期し、夜晋陽に入らしむ。張孟談以て襄子に報ず。襄子之を再拝す。.

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